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木村 健一のエッセイEssay by Kimura Kenichi


ジョーピンター村に行く1〜3

by 木村 健一

ジョーピンター村に行く1

 ターリントン達の村である。陸の孤島、ミャンマーのドライゾーンと呼ばれる内陸部。実は1度パガンからこの村に向かって出発した事があったのだが、運転手が新しく出来ていた道を知らなかったのと、ずいぶん値切って居たので、どこかやる気が無い態度で、砂に埋まった旧道をこれ以上勧めないという。ターリントンともう1人の村人は、そこから1時間半位歩いて村に帰る事になった。私も1時間半位なら砂漠のような砂だらけの荒野を歩けない事も無いが、車も無い村では返って来るのにも、よその村から来るトラックだけが頼りなので、その地点で村に行く事は断念して引き返した。
 去年の7月、大学も休みだし当時の同居人のA君と、再びジョーピンター村を目指す事にした。パガンまでバスで行くと言う。それまで6,7回パガンは行ったことがあるのだが、今までは全て飛行機で行っていたので、初めて普通のミャンマー人のようにバスで、ターリントン、A君、そして私の3人でヤンゴンを出発した。バス会社も競争が激しく、各社ようようなサービス合戦をやっているようだ。まず、ミネラルウォタ−が支給され、ビデオも流されている。バスは快適に飛ばして行く。ピーの町を過ぎマグエ管区にはいても、バスは快適に北上している。ダウンテチャウン村(孔雀が死んだ川と言う意味になる)に着いた。その頃は雨季だったので、他の季節ではその場所は何も無い低地に過ぎないのだが、雨量が多いと川になってしまう。アフリカの砂漠にはそんな話も聞いたことあるような気もするけど、ミャンマーにもそんな場所があったとは。結局水が引くまで待つしかないという。普通の川であれば、橋が架けられてなければフェリーがあり、待ち時間は有っても確実に渡る事はできる。しかし、この孔雀の死んだ川は、水が引くまで3日待ったと言う話までサテンで聞いた。いつもこの場所で車が通行不能になるので、良くしたもので4、5件食堂や喫茶店が出来ている。土地の人とあれこれ話すのも旅の楽しみと言うもんだ。いつも聞かれるのは、人種、既婚かどうか、なぜミャンマー語が話せるのか?もしくは、何故にマイナーなミャンマー語を習っているのか?質問は決まっている。
 夜もだんだんふけてきて、コーヒー飲み過ぎて眠くも無いし、かといって有るのは満点の星空だけ。いやその星空がすばらしい。ここまで美しい星空を、日本だと九重の山奥に友人が建てた別荘で、あとインドのサイババのアシュラムで見たぐらいで。何時間も夜空の星を見上げながら、白々と夜も明けてきた。水もずいぶん少なくなってきたけれども、まだこちら側岸に近い所3、4mに奔流が走っている。そこで石等を運んできてその僅か3,4mを埋めるべく、男達は上から石や土を落としたり川の中に入って作業を進めている。もう1日くらいかかるかもしれないと諦めかけた頃、徐々に水嵩が減ってきた。
 そこに登場するのが大型のトラクターだ。こいつに引っ張られて、浅瀬になったところから、次々に乗用車が渡り始めた。先に小型車を渡した後に私らのバスかなと待てど暮らせどバスは出発しない。トラックターに曳行してもらうにはかなりの金額がかかるらしい。バスの運転手は完全に水が引くまで待つつもりなのだ。これもミャンマーだとばかりに覚悟を決めてまたサテンに入りモヒンガーを食べた。結局まる半日脚止めくって、昼近く再びパガンに向かってバスは、乗客の歓声と供に出発した。すぐに昼食の時間になったので、バスの乗務員が「食事休憩をとりますか?」と問い掛けると全員が「NO!」と答えた。誰しも一刻も早く目的地に着きたい気持ちで一致している。そこから3時間ほどでパガンに無事到着した。そして、パガンで一泊する事にした。

ジョーピンター村に行く2(パガンのホテル)

 ミャンマーの一大観光地パガンには、大小多数のホテル、ゲストハウスが存在する。
 安いゲストハウスは、ニャウーの市場の周り、高級ホテルの4軒がオールドパガンにその他新しいホテルはニューパガンと色分けできる。旅行者で来てる頃は、もっぱらオールドパガンに宿泊していた。こちらに住むようになって年は食ってるが一応学生と言う身分なので、「地球の歩き方」を見てアウンミンガラホテルに1泊15ドルで泊まる事にした。何てこと無いホテルだが立地が良い、観光客なら誰でも行く現役のシュエズィゴンパゴダの正面にあって、近くに土産物屋や食堂も集中している。サイカーや馬車などもここに集まっているので、ホテルは連日満室。しかし3日3晩隣の部屋が大勢人が集まってドンチャン騒ぎをするので、たまりかねて他に部屋も無いしホテルを出る事にした。チェックアウトの際に、一泊15ドルなので3日分で50ドル紙幣を出すと、「お釣りが無い」と言う、私が「ドル、FEC,ミャンマーのお金すべて無いのか?」と尋ねると、受付の女性2名が「すべて無い」と再びにこりともしないで答える。そこで私はおもむろに「地球の歩き方」を取り出して、「日本人の客が多いのは皆このガイドブックを見てやって来てるのだけど、この本に投書しても良いか?」とちょっとすごんでやったら、5ドル札がすぐにカウンターに現れた。観光地パガンのホテルの従業員の中には、もちろん全部ではないが、客をなめていたり、チップばかり要求する連中が居るので注意を要する。
 それで昨日道でおもしろい奴がゲストハウスの客引きやっていた事を思い出してそこへ行く事にした。一泊3ドルそれまでのアウンミンガラとそれほど見劣りがするわけでもないし、部屋数8部屋、マネジャーや客引きのキンゾー(今は居ない)やホテルの裏手に住んでいるオーナ一家もとても人情味があって、それ以後このゲストハウスは私の定宿になった。ところがゲストハウスの名前がミャンマー語を勉強している私のような者にも、難しく「San Yeik Nyein」というのだが、意味を問うと「Peace&Quiet」と教えてくれた。何人かの友人も連れて行ったり紹介したりしたのだが、自分自身が発音できないので、オアシスゲストハウスの隣という教え方をしている。それで行くたびに「名前を変えろ」と言い続けている。実際ネーミングは重要である。ここミャンマーでさえネーミングだけで売れている商品も多いし、飲食店にしてもネーミングで成功が左右される事もある。
 最近のヤンゴンのホテル業界で、凋落が著しいホテルに「Mya Yeik Nyo Hotel」がある。ミャンマー語の意味は、「エメラルドの琥珀色の陰」とでも訳したらいいのか、とに角美しい意味に美しい響きでミャンマー人なら誰でも発音できるし、ミャンマー的には良いネーミングなんだろう。しかし、ヤンゴンでBest3のストランドホテル、セドナホテル、トレーダーホテルがそうであるように、インターナショナルな産業であるホテル事業のネーミングもまたインターナショルで有るべきだと思う。タウンジーに中国人を対象にした「長城ホテル」といういかにも中国というホテルも有るが、世界中からそのホテルに来てもらいたいのであれば、英語名を使えという事ではなくて、例えば先ほどのアウンミンガラホテルのように、世界中のどの人種、どの言語でも言い易い、発音しやすいネーミングが重要だと思う。もちろん名前ばかりではなく、設備の充実、清潔、真心のこもった暖かいサービスがあってこそ、居心地の良いホテルである事は言うまでも無い。

ジョーピンター村に行く3 (ボランティア事業について)

 さて村に行く前に、パガンにあるBAJ(Bridge of Asia to Japan)の事務所を訪ねた。A君が出発前から連絡を入れていたそうで、可愛らしい日本女性が、BAJが今取り組んでいる、パガン内陸部30ヶ村に井戸を掘るプロジェクトに付いて説明してくれた。
 今現在5つの村で、井戸の掘削に成功しているそうだ。過去パガンの内陸部に水を供給するプロジェクトは、ユニセフを始めいろいろな団体が取り組んできた。20年位前の話らしいが、イラワジ河の水をくみ上げて、地中に埋めたパイプラインで内陸の村々に送るというユニセフのプロジェクトが終了した。しばらくは水の供給が出来ていたそうである。しかし、モーターの故障かパイプが詰まったのが原因か良く解らないままに,水の送付は中断されたままになっている。ターリントンの村のジョーピンター村と隣のクドー村の村境にもそのパイプラインは来ていて、地中から鉄柱が出ている。かつては,その鉄柱から水が勢いよく出ていたそうである。今はクドウ村との分かれ道の砂地の中から、錆びた鉄柱だけが空しく立っている。その他のプロジェクトでも、井戸を掘りモーターを取り付けでプロジェクトは完了した事になっている。しかし、貧しい村ではモーターが故障した場合、その修理費も払えず使えないまま放置されたり、金を持ってる個人が、村から井戸ごと買い上げて、井戸水を有料化している例もあるそうだ。そこまではプロジェクトチームも村に付きっきりで指導にあたる事も出来ず、ボランティア事業の難しい点である。
 日本にいた時にも、ミャンマー人の留学生にボランティアの難しさに関する話を聞いたことがある。その学生は、メティーラから来ているMさんというとても優秀な留学生で、ある銀行が制服の古着が大量にあるので、それをミャンマーに寄付したいとMさんに申し出たそうである。ダンボール箱何個になったかわからないが,メティーラに送られた。そこまでならば美談で終わったかもしれないが,メティーラの母親の元に、マンダレー郵便局から荷物を取りに来るようにと知らせが来て、母親はトラック2台を借りて片道3時間かけてマンダレーまで荷物を取に行って、税金として6万Ks、5年前の話なので日本円で4万円位を支払ったそうである。ミャンマーでは、日本のように郵便局は自宅まで宅配してくれない。そして、届いた制服がキュロットスカートで、ミャンマーの女性は誰もそんなスカートをはかないし、第一おしゃれで衣装もちのミャンマー人は、他人と同じ服を着たがらない。結局銀行側の好意もMさんの母親に、多額の出費をさせただけとなったようだ。
© 木村 健一

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