Yangonow Slogan

第2回 ミャンマーパークビューグループ代表    正田信子さん

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――簡単なご経歴と、ミャンマーで事業を始めた経緯を教えてください。

日本で大学を卒業した後、西武百貨店に入社しました。当時はセゾングループでしたが、会社が多事業展開をしていて、インターコンチネンタル・ホテルを買収しました。そこで新しいホテルをシンガポールに作ることになり、そのオープンのためにシンガポールに赴任していました。

ミャンマーにはシンガポール赴任中、96年の1月に初めて旅行で訪れました。その年は「ミャンマー観光年」ということで、全日空が日本から直行便を就航するということが決まっていて、ヤンゴンではそこら中でホテルが建設ラッシュでした。そこで「旅行業をやれば、日本からのお客さんが多いのではないか」と思い、1996年5月にミャンマーに移住し旅行会社を作りました。

ミャンマーで会社を作るにあたっては、当時いろいろな外貨規制があり、個人の出資で会社を作るのが難しかったので、まずシンガポールに会社を作ってその会社からミャンマーに投資する、という形で設立しました。

 

――御社の事業内容を、簡単にご説明ください。

ミャンマー国内の旅行手配、ホテルや国内線、車、ガイドをアレンジしています。それから2010年以降は、旅行業務をしている中で、ミャンマーに進出される日系企業の方が増え、不動産のご相談をよく受けるようになりました。そこで、2011年に別会社として「パークビューサービス」を作りました。ここでは、日系企業のオフィスや日本人の方の住居の賃貸斡旋をしています。

 

――ミャンマーで事業をされる上でのご苦労は何でしょうか。

ミャンマーは、日本とは文化とか習慣がまったく違う国ですし、インフラも整っていないので、日本の常識が通用しません。そういった中で、ミャンマーの人たちと仕事をしていかなきゃいけない。その辺りが一番大変でした。また、政情不安(※注1)や天災(※注2)もありましたし。

人でいうと、例えばここの人は、あまり「イエス・ノー」がはっきりしていなくて、何でも「はい、はい」と言います。例えば、こちらが「できますか?」と聞いて、相手が「はい」と答えても、それは「できます」という意味じゃなくて、ぜんぜん理解していなくてもそう答えてしまったりすることがあります。

ここが日本語との違いで、「はい」は「できます」という意味じゃなく「聞きました」という意味。こちらは「できる」と期待していたのが実際はできていない、ということが多いですね。

注1)2007年、反政府デモを取材中の日本人ジャーナリストが治安部隊に射殺された。

注2)2008年、サイクロン「ナルギス」が上陸した。

 

――スタッフを使う上で、工夫している点はありますか。

私たちのお客様は日本の方たちなので、スタッフにはなるべく日本の習慣などを理解して仕事をするように、と教えています。そして逆に、日本のお客様にもミャンマー人のことを分かってもらわなきゃ、というのがありますね。

 

――ミャンマー人の美点はどういった所でしょうか。

とてもホスピタリティの気持ちがありますね。旅行でいらしたお客様の感想でも、一番多いのが「人が良かった」というものです。「パゴダが良かった」とか「遺跡が良かった」じゃなくて、ほとんどの方が「人が良かった」なんです。お客様も滞在中はそんなに多くのミャンマー人と接するわけではないけれど、やはりミャンマーの人たちのような素朴な優しさ、ほほ笑みは、いま日本で忘れられているようなものなのではないでしょうか。

オフィスでの仕事風景。

オフィスでの仕事風景。

――ご自宅でも、若いスタッフの面倒をみられているそうですね。

2003年に、ひょんなことから身寄りのない子どもをうちに引き取って、一緒に住みながら学校に行かせるようになりました。そして、ミャンマーの学校の現状がいろいろ分かってきました。お金がなくて学校に通えない子がいるんだ、ということをそれまで知らなかったし、あまり考えていませんでしたが、ヤンゴンにもそういう子がたくさんいると分かったんです。それで、その子の学校が終わった後、「もう一人くらい学校に行かせることができるかな」と知り合いに声を掛け、仕事とは別に教育支援を始めました。

 

――それがMESO(ミャンマー教育支援機構)ですね。支援金はどうやって集めているのですか。

知り合いの方や企業に声を掛けて、日本からもご寄付をいただいています。支援を始めたのは2007年のことで、その年はちょうどヤンゴンで騒動があったし、2008年には大型のサイクロンが来て、仕事のほうも大変でした。そこで、「ただ支援のための寄付を集めるんじゃなく、もう少し自立できないか」と試行錯誤した結果、ここでミャンマー産の原料を使った手づくり石けんを作り、2009年に商品化しました。そして販売許可も取って、フェアトレードのコンセプトでミャンマー国内で販売を始めました。

 

――石けんは、だれがどこで作っているのですか。

石けんを作っているのは、地方出身の教育レベルの低い女の子たちです。やはり、そういう子たちはなかなかちゃんとした仕事に就けません。そういった子たちが、私の家に住み込んで働きながらキッチンで一緒に石けんを作っています。この子たちの給料は、すべて石けんの売り上げから賄っています。そのほか、今ではMESOの方にも収益を回せるようになりました。

 

――石けんの商品開発には、時間と手間が掛かったのではないですか。

最初に、何かフェアトレード商品でミャンマーの原料を使った質のいいものが作れないかなと思い、石けんが作りたいと思いました。そこで、インターネットなどで情報を調べていたんですが、日本の手作り石けんというのは、ほとんどが欧米などからきた情報で、ここでは道具やオイルなどの材料が手に入りませんでした。それで、ここにあるオイルでいろいろ作ってみたんですが、なかなかきれいにできない。

そのときにちょうど、フィリピンのセブ島でダイブ・ショップをやっている知り合いの日本人女性が、石けんを商品化して売り上げで支援活動をしていると聞いたので、石けん作りを習いに行って来ました。すると、セブ島にある材料というのはほとんどミャンマーでも手に入るものが多いと分かりました。石けん作りに使う型やカッターなどの道具についてもアイデアをいろいろともらい、ミャンマーで全部、大工さんに作ってもらいました。

石けんは、どうしてもミャンマーらしいものを作りたかったので、タナカ(※注3)やミャンマー産の竹炭、モリンガ(※注4)の葉を漬け込んだオイルなどを使っています。

注3)ミカン科ゲッキツ属の木。ミャンマー女性は樹皮をすりおろし、顔などに塗って日焼け止めにする。

注4)西洋わさびの木。ミャンマーでは、葉をスープなどに使う。ビタミンやポリフェノールが豊富。

MESoapは全4種類。厚労省の許可を取っており、今後はインターネットと販売元を通して販売展開する。

MESoapは全4種類。厚労省の許可を取っており、今後はインターネットと販売元を通して販売展開する。

 

――教育支援にかぎらず、外国で社会活動をする上で大事なものは何だと思いますか。

一口に支援をするといっても、私たち外国人と彼らとは土台が違います。基本的には、一方的にこちらが考えて支援するのではなくて、あくまでもこちらの方たちと一緒にやっていくということが一番大事だと思います。

 

――政情不安や天災、インフラも整わない厳しい環境の中、今まで事業や活動を続けてこられた理由は何ですか。

2007~08年の状況は本当に大変でしたから、仕事はとても困難で、撤退も考えました。私は外国人なので、実際には簡単に撤退できます。でも、一番困っている人たちは大変だからといって、どこかに逃げるということはできない。私のスタッフにしても、支援をしている子どもたちにしても、大変な人たちが逃げられないところを、私がパッと撤退してしまうのはあまりもお気楽外国人かな、と。それで、その子たちと一緒に大変な時を乗り越えよう、と思ったからです。といっても、当時の子は残っていないんですけどね(笑)。

 

――プライベートでは普段、何をされていますか。

ミャンマーのローカル犬を2匹飼っているので、その犬たちと過ごしています。同居している子たちも犬の面倒をみていて、エサをあげる子が決まっています。

 

――いつも素敵なロンジー(ミャンマー服)を着ていますが、何着持っていますか。

ガイドの子やスタッフが、いつもおみやげなどでくれるので、20~30着くらいだと思います。ここでは適当な洋服、買うものがなく、上手に洋服を作れるテーラーもなかったので、ミャンマーのもの、オーダーメイドを着るようになりました。

 

――こちらに暮らして、日本にいたときと衣・食・住は変わりましたか。

全部が変わりましたね。日本にいたころとはまったく違います。「衣」は、流通業界にいたので毎期毎期今年のものを着なきゃいけないという感じがありましたが、そういうのがまったくなくなってしまいました。今はほとんどミャンマー服、またはジーンズなどです。

「食」は、全部ミャンマー食です。ローカルの子と一緒に生活していて、その子たちは日本食が好きではないし、自分だけ違うものを食べるのもなんですので。

「住」は、まず停電が日常茶飯事だし、電話の故障、インターネットの接続が悪いなどありますからね。

 

――今後の事業の展望を聞かせてください。

今ミャンマーブームになって、ミャンマーは多くの人から注目を浴びています。これから環境汚染などの問題が出てくるでしょうが、今までのミャンマーの良さを失わない形でほしいし、旅行業でもそういったミャンマーを紹介していきたいと思います。

不動産業では、長年こちらで生活してきた経験を生かし、日本とミャンマーの違いを分かった上でできるだけ快適な生活ができるよう、お手伝いしていきたいです。

教育支援については、将来的には石けんの事業を拡大して、私たちが今まで支援してきた子が後輩をサポートするような形で、日本・外国からの支援に頼らないで、自活してミャンマーの人たちの手に渡していきたいと思います。

 

――これから、ミャンマーという国はどうなっていくと思いますか。

いまの傾向からすると、国が急激な勢いで発展し、ミャンマー人も変わりつつあるようなところがちょっと心配ですね。これはミャンマーに来る外国人もそうですが、ミャンマー人自身がきちんと頑張ってほしいと思います。

オフィスの入り口で、スタッフたちと。

オフィスの入り口で、スタッフたちと。

 

ミャンマーパークビューグループ

*ミャンマーパークビューツアーズ (旅行会社)
*パークビューサービス (不動産賃貸斡旋および関連サービス)
*ME SOAP (ミャンマー手作り石鹸製造販売)

 

ミャンマーパークビューツアーズURL: www.m-parkview.com

ミャンマー教育支援機構URL: www.meso-intl.org

メソープ・ネットショップURL: www.mesoap.jp

 

★インタビューを終えて★

第一印象は、都会的で上品な正田さん。正直なところ、初対面ではすこし緊張しましたが、華奢で小柄な体格からは想像できないパワーと行動力、そして母のような愛情と包容力が感じられました。

(インタビュー日:11月7日)

 

 
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