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SAT JAPAN Road Service Co.,Ltd. 山田 敬さん

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―まずは、貴社の事業内容を教えてください。

弊社は、ロードサービス会社でございます。

24時間年中無休でサービスを提供させて頂いております。内容としましては、お客様のお車に自走不能、不具合が発生した場合、早急に現場へ向かい、対応可能であれば現場で対処致します。現場復帰が不可能な場合は、お客様のご指定の場所までお車をお運び致します。

―何名のスタッフで運営していますか。

日本人3名、ミャンマー人15名の合計18名です。
まだまだ小さい会社です。(笑)

―24時間対応されているとのことですが、どのように運営されているのですか。

1日を8時間ごとの3つに分けて、3交代制で運営しております。

部署自体もロードサービス、営業、経理、テレマーケティングの4つに分かれており、連携をとりながら、業務に当たっています。

―都市部からは少し離れたミンガラドンにオフィスを構えられていますが、それはなぜですか。

弊社はヤンゴンだけでなく、マンダレー、タウンジーを中心に、全国でサービスを展開しております。それゆえ、ミャンマーの北へと続く高速道路に近く、ヤンゴン市内エリアへも1時間程度でアクセス可能なミンガラドン地域にオフィスを構えているんです。

―利用されているお客様は、やはり日本人が多いですか。

いえいえ、それが違うんです。弊社のお客様の90%はミャンマー人の方々です。残りの10%は日本をはじめ、韓国や中国、大使館関係のお客様といった様々な方々にご利用頂いております。外国人の方で弊社に会員登録されているのは、やはりご自身で運転されるお客様が多いですね。

―特に事故の多い地域はどこですか。毎日渋滞がひどいダウンタウン地区がやはり多いのでしょうか。

これまた、違います。(笑)
ダウンタウン地区は自動車の交通量自体が多いので、走行スピード自体は比較的ゆっくりなんです。ダウンタウン地区でのご対応というのは、多いというわけでは意外にないんです。
やはりスピードが出せる高速道路での故障が多い印象です。それ以外は、特にここが多いとは一概には申し上げづらいですね。

―どういった故障が多いですか。

エンジントラブルが圧倒的に多いですね。乾季と雨季の変わり目の季節は特に増加する傾向があります。

―日本ではエンジントラブルの多発というのはあまり聞かないのですが、ミャンマーでは多いのですね。

ミャンマーに住んでいらっしゃる方ならご存知のことと思いますが、こちらで走っている自動車のほとんどは輸入の中古車です。さらに日本でいう車検のような、定期的に行われるメンテナンスもあまりないことから、自動車が走らなくなって初めて、故障に気づき、部品を取り換えるというのがほとんどなんです。

―僕もタクシーに乗っていて、怖い経験をしたことが何度かございます。

そうですね。
だから私としましては、自動車の事故や交通トラブルが少しでも減るようにとの思いから、仕事をさせて頂いております。
微力ではございますが、ドライバーの安全意識の向上はもちろんのこと、弊社スタッフの技術的な進歩の手助けをさせて頂いております。日本人がただやってきて商売をするというのではなく、自動車交通の多いミャンマーにおいて、レスキューサービスは無くなることのない業種であると思いますので、ゆくゆくはミャンマー人の手のみで解決してゆけるよう、サポートしていきたいと思っております。

―社内スタッフの教育に尽力されているのですね。

レスキューの技術者といえどお客様の前で作業をするため、1人の立派な営業マンであるということを、弊社スタッフには理解させるようにしています。
この業種自体がミャンマーには馴染みのなかったものでございますから、知らないというのが当然という前提のもとで教育するよう心掛けています。
技術の向上というより、「どうして手袋をはめるのか」、「なんのためにここでは反射板付きベストを着なければならないのか」など、作業をする上で「どうしてそうするのか」を重視して、基本から教えるようにしております。
弊社自身が安全を謳っている会社ですので、まずは自分達の身の周りから安全を固めることが必要ですからね。

―今、山田さんご自身が、力を入れていることはなんでしょうか。
事故を少しでも減らしたいとの思いから、ドライバーの交通ルール意識向上のための交通安全運動の実施です。
レスキューに向かった際は、もちろん交通事故現場に直面することもございます。原因を伺いますと、ドライバーや歩行者の交通ルール認識の低さによって起こった事故がとても多かったんです。ルールを認識し守っていれば、防ぐことが出来たのではないかと感じることも多く、交通安全運動を通じて、改めて交通ルールを確認して頂きたいとの思いから、すでにこれまで3回実施させて頂いております。

―交通安全運動と言いますと具体的にどのような活動をなさっているのですか。
日本で言いますところの交通安全週間と同等なものでございます。
この活動も日本と同じく7日間のスケジュールで実施しております。内容は協賛企業様や交通警察にご協力頂き、午前8時から10時までの2時間、安全を確保できる場所にて自動車を1台1台停車させて、小中学生からドライバーへ交通安全パンフレット、交通安全パッケージの水、ご協賛企業様のチラシを手渡してもらうというものです。

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―交通安全パンフレットも作成されたのですか。
在ミャンマー日本大使館、JICAの後援のもとで、ドライバーの心得を記載したパンフレットをミャンマー語で作成しました。

―活動には何名ほどの小中学生が参加したのでしょうか。
1日あたり、同時に8か所で実施しまして、活動ポイントごとに異なる小中学校の生徒に担当して頂きました。トータルで7日間の活動ですので、56校の小中学生たちがこの運動に参加したということになります。より幅広い地域の子供たちにこの活動を認知してもらうというのも、この活動の目的の1つでございます。

―小中学生に手渡してもらう形にしたのはどうしてですか。
ドライバーだけに交通安全を考えてもらうのではなく、将来ドライバーになるであろう子供たちにも、交通ルールを守る意識を植え付けることで、人と自動車の安全な社会作りに貢献できればとの思いからです。

―3回実施されたとのことですが、実施後の様子はいかがでしょうか。
この運動はすぐに結果の出るものだとは考えておりません。長いスパンで捉えて定期的に実施することが大切です。少しずつではありますが、着実にミャンマーの方々に交通安全意識を持って頂けるようになると考えております。
先ほども申し上げましたが、ドライバーの不注意から起こった事故が多いことから、意識を変えていきたいですね。

―事故を減らすために、ドライバーにはどのようなことが求められるでしょうか。
ミャンマーにおいては、とにかく気持ちに余裕を持って運転することを心掛けることです。それは、もちろん歩行者にも当てはまることです。歩行者自身も自分の身を守る努力をする必要があります。特に夜間は普段以上に注意してほしいと思います。

―山田さん自身についても伺います。どういう経緯でミャンマーへいらっしゃることになったのでしょうか。
ミャンマーに来た理由ですか。難しい質問ですね。
友人の誘いでミャンマーを訪れ、ミャンマーの魅力に見せられたというのが大きな理由ですね。

―休日はどのような過ごされ方をされますか。
やはり、家でゆっくり過ごすことが多いですね。ヤンゴン市内にあるイギリス時代の建物を見るのも好きですね。

―食事はどうされていますか。
自分で作ることが多いですが、外食もしますよ。

―外食はミャンマー料理を召し上がるんですか。
いえ、実はミャンマー料理は油が多いのであまり好きではないんです。日本食をはじめとする、その他の国の料理を食べています。
どうしてもミャンマーにいると、野菜不足からビタミンが不足してしまいます。私はその不足を補うため、日本からサプリメントを持ってきて飲むようにしています。

―最後にミャンマーは今後どうなっていくと思いますか。
スピードはゆっくりですが、着実に発展には向かっていると思います。10年後には、より生活しやすい社会になっているのではないでしょうか。私自身もミャンマーにいる人間として、発展のお手伝いをこれからもして参りたいと思っております。

 

Yusen Logistics (Myanmar)Co., Ltd. 野嶋保彦さん

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―――貴社のミャンマー事務所の開設はいつですか。

オペレーションが開始されたのは、2014年の4月からですので現在4年目に入ったところですね。
現在は、日本人スタッフ3名とミャンマー人スタッフ19名で運営しています。

――次に、事業内容を教えてください。

海上輸送、航空輸送、陸上輸送、倉庫業務、通関業務、クロスボーダー(国境間取引)の大きく6つです。

郵船ロジスティクスは、世界43ヵ国、500拠点以上の広いネットワークを持つ総合物流業社です。我々はそのミャンマー法人となります。

今申し上げた業務に加えて、ティラワに新しく構えましたロジスティクスセンターの業務開始に向け、目下準備を進めているところですね。

――その中で野嶋さんが特に力を入れている業務は何でしょうか。

弊社だけのためではありませんが、通関業の電子化が進むことを期待しています。
2016年11月に、日本の通関システムをベースにして作られた新たな電子通関システムのMACCS(Myanmar Automated Cargo Clearance System) が、ヤンゴン国際空港、ヤンゴン本庁、ヤンゴン本港、ティラワ港、ティラワ経済特別区内の税関へ導入されました。

このシステムは輸出入の申告、審査、関税納付、認可を含む一連の通関手続きを電子化し商業省の発給する輸出入ライセンスとの連結することが出来ます。このシステムがスピード感をもってタイ国境のミャワディ税関など全国展開することを期待しています。

しかしまだ始まったばかりですので、問題点を解決しながらの全国展開となりますが、
このミャンマーという国が物流分野で、先進国と肩を並べられるようになるため、システム面はグローバルスタンダードに早急に近づいて欲しいと思っています。

―――現時点でのMACCSの状況はいかがですか。

何事も、ステップバイステップですよ(笑)

確実に良い方向には向いていますが、まだまだやるべきことは多いですね。

MACCSが早く浸透し、輸出入の施設の増設や物流システムが確立されることで、ミャンマーは国としても大きく発展していくことができると思います。

これからも継続して、業界をあげて、1つ1つ解決していけたらと思っています。

―――野嶋さんはミャンマー以外の国での勤務も経験されていると伺っておりますが、他国とミャンマーでは、仕事をする上でどういう違いがありますか。

日本では東京、浜松、沼津、大阪の4都市で勤務、海外はアメリカ駐在2回、香港駐在1回。大阪からミャンマーに赴任しました。

ミャンマーへ来る以前に赴任していた国では、どこでも、組織や物流システムが整備されていて、顧客もそれなりに確保できていました。それゆえ、いかにサービスの向上・充実を図るかが仕事の大きな柱でした。

しかし、ここミャンマーでは、輸出が少ないことや組織自体が出来上がったばかりで
会社としての組織作り、スタッフの教育等、サービスを展開するにあたっての基盤作りを
より一層進めなければならなかったという点ですね。

―――環境面での違いを仰っていただきましたが、人材という面ではいかがですか。

物流業だけでなく社会全体として、これから発展していく国であるため、まだまだこれからという印象です。

物流業に関しては知識や経験を持つ人材が少ないので、教育を受けさせる(教えてあげる)
ことが大切だと思っています。

43カ国にネットワークを持つ我社の仕事内容を理解できれば、しっかり働いてくれる子は多いと思います。

―――冒頭でお話になられたティラワのロジスティクスセンターについても教えてください。

建設中の多目的物流施設も5月末には完成し、6月から業務開始出来ます。

2017年7月12日 ティラワロジスティクスセンターの開業式を行います。今は慌ただしく、そのオープニングセレモニーの準備を進めています(笑)

このセンターの業務としては、保税・非保税貨物の取り扱いや輸出入の通関手続き、トラック輸送/コンテナドレージ、クロスボーダーの物流基地など多岐に渡ります。

敷地面積30,096㎡、建物面積 6,208㎡、オフィススペース(2階)660㎡です。

この1階部分には、冷蔵(5℃~8℃)、冷凍(-18℃~-20℃)定温(15℃~20℃)の施設を設置し、常温倉庫部分と合わせて4温倉庫を揃えることで、幅広いニーズに対応できます。

また、4000㎡の完成車蔵置用ヤードも完備し、一般および保税車輛保管、完成車の納品前点検・補修・部品補給サービス、通関手続きなど完成車物流サービスにも力を入れていきます。

期待の大きい自動車産業でのミャンマー国のニーズにも応えられるのではないかと思います。

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――先ほど、現在のスタッフ数について教えて頂きましたが、最大で何名のスタッフが働けるのでしょうか。

また難しい質問ですね(笑)

実は最大何人というのは決められないんです。というのも取り扱う業務内容によって、その倉庫の使い方自体が変わってくるからです。

一般倉庫として貨物を置くだけなら、人員はさほど必要になりませんが、保税倉庫として貨物を保管したり、顧客のニーズにあわせて、センター内で物流加工を請け負う場合には、一般倉庫より多くの人員が必要になってきます。

取り扱う用途によって必要人員が変わるため、最大何人とは申し上げにくいですね。需要に沿って、その都度人員を増やしていく形をとるつもりです。

センター自体は10人以下でスタートしますが、これから50人、100人と増やしていけたらすばらしいと思います。

――今後の貴社の展望を教えてください。

まずは、ティラワのロジスティクスセンターがしっかりと機能を果たしてくれることが第一ですね。センターが安定し、ミャンマーの産業自体も、電子部品や自動車、オートバイなどのハイテク製造メーカーが生産拠点として進出して来ますと、その部材や製品の輸入、輸出が活発化します。こういう輸出入貨物が取扱い出来るようになったら嬉しいですね。

もう1つ、国境面でのクロスボーダー取引についても注目しています。まずは、輸出入が多いタイですね。国境付近のミャワディでは、国境を超える際に、その都度コンテナの中身を積み替えなくても良い、スルーコンテナでの保税運送の実現化に期待しています。

既にミャンマーとタイの2国間で合意されており、2017年中にはテスト輸送が行われる予定です。

タイの援助で第2友好橋が建設中であり2018年4月頃には開通予定です。開通時期に合わせてスルーコンテナでの保税輸送が実現することを期待しています。

先ほども申し上げましたが、国自体の発展に物流は不可欠なものですので、ミャンマーの物流業界がグローバルスタンダードに近づいていけるようお手伝いさせて頂きたいと思っています。

――野嶋さんの私生活についてもお聞きします。休日はどんな過ごされ方をしていますか。

もっぱらゴルフですね。(笑)

あとは、家でゆっくり休む日やショッピングセンターに買い物に出かける日もありますが、やはりゴルフが多いです。(笑)

――ゴルフの環境面についてはどうですか。

ヤンゴンには我々が主にプレーするゴルフ場が4つあります。

乾季の間は、どこも概ね良好で問題なくゴルフが楽しめます。しかし、問題は雨季です。雨季はやはりダメで、田んぼのようになってしまうゴルフ場もこの中にあります(笑)。

――金額についてはいかがですか。

日本よりは価格は安いです。キャディーさんもついてくれるし、日本より安くプレイもできるから毎週行くことができるんです。(笑)

――食事についてはいかがですか。

思っていた程、不自由していません。というのも、ミャンマー人オーナー・日本人オーナー問わず、美味しい日本食を提供してくれる日本料理店がたくさんあるからです。
単身赴任者としてミャンマーへ来ましたので、食については少々心配でしたが、その点は全く問題ありませんでした。

また、タイ・インド・中華・韓国料理店・イタリアン・ドイツ料理など他国料理のレストランもたくさんあるため、他の方々も食で困ることは、ほとんどないと思います。

――ミャンマー料理は召し上がりますか。

道端にある屋台に行ったことはありませんが、ミャンマー料理は好きです。シャン料理のシャンヨーヤーや家から近いハウスオブメモリーズも利用しています。

――最後にミャンマーが国として今後発展していくために、必要なことは何でしょうか。

ここからの5年~10年が勝負だと思っています。10年でインフラ、特に交通と電気の整備が進めば、お隣のタイのように、大きく国として成長できると思います。今の状況を見るとかなりスローペースなので、少し不安ですが。(笑)

また、少しずつローテク産業中心の社会を脱却していく必要もあるかと思います。ハイテク産業を増やし、日本をはじめとする先進国のハイテク産業の製造拠点になり、「ものづくり」ができる国になっていけるかが、今後のカギになってくるのではないかと思います。

弊社としてはミャンマーがそのように発展していけるよう物流を通じてお手伝いが出来ればと思っています。

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第5回 一番館 店主 小丸かほりさん

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――「一番館」はヤンゴンの日本料理店の老舗ですが、創業はいつですか。

1996年の5月にオープンしまして、今年の5月でちょうど18年になります。

 

――ということは、第一次ミャンマーブームのころですね。

ちょうど、ブームと同時にお店をオープンしました。今よりもちょっと小さなブームでしたね。毎日のようにいろいろな会社のオープニングや事務所開きがあり、「あ、また違う方がお見えになった」という感じでした。

FMIセンターにほとんどの日本企業のオフィスがあったので、そこから駐在員の皆さんにランチを食べに来ていただき、ここでいろんな情報交換をされていましたね。当時は、銀行さん大手8行、ゼネコンさん、商社さんはもちろんのこと、たくさんの方にお越しいただきました。それが2000年ぐらいまで続いたでしょうか。ちょうど全日空の直行便が関西空港から飛んでいて、観光のお客様も多かったですね。

 

――店名の由来は?

単純に、ミャンマーの方にも覚えやすい名前ということで、ふっと「一番館」という名前が浮かびました。当時うちにいた中国系ミャンマー人のメイドさんに、「これ言いやすいですか」と聞いたら、「言いやすい」と言うんです。それで、あまり考えるよりも「一番館」にしようか、と決めました。

 

緑に囲まれた、「一番館」の外観。

緑に囲まれた、「一番館」の外観。

――そもそも、ヤンゴンで料理店を始めようと思ったきっかけは?

夫の仕事の関係です(※注1)。1995年に阪神淡路大震災がありまして、夫が仕事で借りていた神戸のオフィスにダメージがあったもので。その当時、ちょうど夫がミャンマーで仕事をやり始めていたのですが、ある会社の社長さんが「これからのミャンマーは良くなるよ」とおっしゃって、私たちをサポートしてくださったんです。

それに私が料理が好きで、社長の奥さんに自宅でちょっとお料理を食べていただいたら、「この家庭料理、ミャンマーで出したら受けるんじゃないか」と言われました。「これから(日本料理は)絶対に必要になってくるから、ぜひやりなさい」ということで、サポートしていただき、私も「じゃあ、やらせてもらおうかな」ということでここ(お店の入るビル)を会社からお借りしたんです。

(開店した)初めは10年間くらいだと思っていたのが、もう10年ではきかなくて…。自分がやってみて初めて、「日本人がいないとだめだ」ということが分かったんです。それでヤンゴンにいるかぎりは、とほとんど毎日のようにお店に出ています。ほとんどと、いうか毎日出ていますが…。

厨房の人たちに料理を教え、ホールの人たちにも「お客様は、このお店に入って来られた瞬間から日本を求めていられるんだから」と。日本のマナーやおもてなしを教えて、いつか職種が変わっても、何か彼ら・彼女たちの役に立つだろうから、ということで教えていますね。

※注1)ご主人は、㈱ミャンマーユタニの小丸佳憲さん。

 

――開店までにはどんなご苦労がありましたか。

インフラですね。私もここまでひどいとは思っていなかったのですが、やりかけたので仕方ないという…。とにかく電気と水の確保でしたね。水がなければ商売ができないもので、「これがだめなら次の方法で」と、当時のマネージャーと一緒に努力してやってきました。

 

――お店の内装は本格的な日本の民芸風ですが、資材の調達も大変だったのでは。

内装はオール・チーク(材)ですが極力、木を生かした造りにしたかったので、日本から写真とか本を持って来まして、大工さんに「こういう感じにしてください」とお願いしました。でも彼らは(隣に)付いていないとだめなんですよ。時間が来るとすぐ帰ってしまったり。それでオープンが延びて、2月と言っていたのがもう3月、4月。「もうこれ以上待てない」ということで、最後は付きっきりで5月に完成したんです。

チーク材がふんだんに使われた、落ち着きある内装。

チーク材がふんだんに使われた、落ち着きある内装。

――当時のミャンマーはどんな状況でしたか?日系企業もどんどん増え、日本人がたくさん増えたと思いますが。

増えましたね。ところが日本食レストランはまだ少ないですから、食材を調達するのが大変でした。今日あっても、次の入荷がいつか分からない、ということで。一番困ったのは、おしょうゆが手に入らなくて、タイまで買いに行ったことがあります。

 

第4回 ミャンマーDCR ジェネラルマネージャー  小林政彦さん

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――貴社はいち早くミャンマーに進出されましたが、事務所開設はいつですか。小林さんは、当時からの赴任ですか。

弊社は、2008年の7月14日に設立しました。ただ、こちらのサーベイ(調査)自体は2006年からやっています。2年がかりで、なんとか設立にこぎつけたという感じです。

私は設立してからの赴任で、2008年の9月から正式に赴任しました。

 

――今でこそ設立の許可もスピードアップしていますが。

当時はなかなか整備もできていなくて、何のコネもない状況で来たので、いろいろ調べながらでした。軍事政権だったのもありますし、大きなサイクロンの「ナルギス」が来ていたので政府の機能も止まったりして、なかなかスムーズにはいきませんでしたね。

 

――現在、ミャンマー人スタッフ、日本人スタッフは何名ですか。

ミャンマー人スタッフは約200名で、日本人は5名ですが、社長の赤畑は日本がメインですので、常駐者は4名です。

 

――貴社の事業内容を、簡単にご説明ください。

弊社のお客様は100%日系企業なので、日本の仕事をこちらで請け負ってプログラムを開発し、できたものを日本に送り返す、というのが主な仕事になります。

われわれのグループ会社は9社あるんですが、日本側の親会社であるDCRがその中心となって日本のお客様からお仕事をいただき、日本側が上流工程といわれる要件定義や基本設計作業を請け負い、ミャンマー側が製造工程といわれるプログラム作成・テスト作業を実施するという役割となっています。

 

――貴社の、他の日系IT企業にない強みはなんですか。

2008年からやっていますので、ミャンマー国内である程度ブランド力がある、というのが一つの特長です。採用に関しても、特に広告を多く出してはいませんが、毎年1000人以上の応募が来ますね。それが一つのブランド力なんじゃないかな、と思います。

もちろん(状況は)日々変化していくので、そのアドバンテージがいつまで続くかというのは分からないんですけど、昔からやっていますのでミャンマー人の考え方とかミャンマーでのやり方、風習だとかはよく理解していると思っています。

 

 

第3回 下川ビルディング株式会社 専務      下川有司さん

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――まず、貴社の事業内容を簡単にご説明ください。

下川ビルディングは、貸事務所を主体とした不動産のリース業を行っており、おもに東京の大田区を中心として、地域に密着した事業展開をしています。大森に第1下川ビルを建てたのが昭和41年なので、創業してから50年近くになります。

 

――ミャンマーでホテル事業を展開された経緯を教えてください。

私たちの本業は貸しビル業ですが、一時期はカプセルホテルの営業もしていました。それでマンスリーではなくデイリーな商売に魅力を感じて、今後はホテル業もやっていこう、ということで検討していたんですが、そのさ中に東日本大地震が起こりました。

もともと10年くらい前から中国など海外の視察はしていましたが、このタイミングでリスク分散として海外に不動産投資をしよう、となりました。

そして、社長と私の2人で中国、タイ、ベトナムなどアセアン諸国を観て回っている中で、ミャンマーに民主化という動きが出てきました。そこで視察に来てみたところ、非常に親日的で、なおかつまだ不動産の投資が活発に行われていない。そういう見地から、ミャンマーに投資をすることになりました。そうして何回か足を運んでいた中で、たまたまこちらのランドオーナーとめぐり合い、何度か協議を重ねた結果、合意し、今日に至っています。

 

ホテル・ガンゴウのロビー。

ホテル・ガンゴウのロビー。

――ミャンマーに来られたときの印象はどうでしたか?

私たちはタイで飲食店を展開しているのですが、ミャンマーもタイと同じ仏教国なので似たような雰囲気なのかな、と思っていました。でも初めて空港に降りてみると、バンコクと比べてぜんぜん都市化が進んでいないな、という印象でしたね。

 

――ホテルのオープンまでには、どんなご苦労がありましたか。

オーナーとの契約は、ホテルを建築している途中でしたんですが、建築がなかなか進まなくて、当初想定していた開業予定日から6ヶ月も遅れました。一番の苦労はやはりそこでしょうか。あとは、やっぱり考え方の相違がありましたね。そして、建物に関する不安が若干あります。こちらの建物は日本の建築手法とだいぶ違うので、地震がないとは聞いていますが、やはり耐震の面で不安があります。

 

――「考え方の相違」とは、たとえばどんなことですか。 

まず契約をするときに、言葉の違いもあるでしょうが、(法の整備上の問題で)契約自体の大枠が細分化されていないんですね。大体の大枠は決めているんですが、一つひとつの情報にあいまいな部分が多いな、と思いました。

 

第2回 ミャンマーパークビューグループ代表    正田信子さん

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――簡単なご経歴と、ミャンマーで事業を始めた経緯を教えてください。

日本で大学を卒業した後、西武百貨店に入社しました。当時はセゾングループでしたが、会社が多事業展開をしていて、インターコンチネンタル・ホテルを買収しました。そこで新しいホテルをシンガポールに作ることになり、そのオープンのためにシンガポールに赴任していました。

ミャンマーにはシンガポール赴任中、96年の1月に初めて旅行で訪れました。その年は「ミャンマー観光年」ということで、全日空が日本から直行便を就航するということが決まっていて、ヤンゴンではそこら中でホテルが建設ラッシュでした。そこで「旅行業をやれば、日本からのお客さんが多いのではないか」と思い、1996年5月にミャンマーに移住し旅行会社を作りました。

ミャンマーで会社を作るにあたっては、当時いろいろな外貨規制があり、個人の出資で会社を作るのが難しかったので、まずシンガポールに会社を作ってその会社からミャンマーに投資する、という形で設立しました。

 

――御社の事業内容を、簡単にご説明ください。

ミャンマー国内の旅行手配、ホテルや国内線、車、ガイドをアレンジしています。それから2010年以降は、旅行業務をしている中で、ミャンマーに進出される日系企業の方が増え、不動産のご相談をよく受けるようになりました。そこで、2011年に別会社として「パークビューサービス」を作りました。ここでは、日系企業のオフィスや日本人の方の住居の賃貸斡旋をしています。

 

――ミャンマーで事業をされる上でのご苦労は何でしょうか。

ミャンマーは、日本とは文化とか習慣がまったく違う国ですし、インフラも整っていないので、日本の常識が通用しません。そういった中で、ミャンマーの人たちと仕事をしていかなきゃいけない。その辺りが一番大変でした。また、政情不安(※注1)や天災(※注2)もありましたし。

人でいうと、例えばここの人は、あまり「イエス・ノー」がはっきりしていなくて、何でも「はい、はい」と言います。例えば、こちらが「できますか?」と聞いて、相手が「はい」と答えても、それは「できます」という意味じゃなくて、ぜんぜん理解していなくてもそう答えてしまったりすることがあります。

ここが日本語との違いで、「はい」は「できます」という意味じゃなく「聞きました」という意味。こちらは「できる」と期待していたのが実際はできていない、ということが多いですね。

注1)2007年、反政府デモを取材中の日本人ジャーナリストが治安部隊に射殺された。

注2)2008年、サイクロン「ナルギス」が上陸した。

 

――スタッフを使う上で、工夫している点はありますか。

私たちのお客様は日本の方たちなので、スタッフにはなるべく日本の習慣などを理解して仕事をするように、と教えています。そして逆に、日本のお客様にもミャンマー人のことを分かってもらわなきゃ、というのがありますね。

 

――ミャンマー人の美点はどういった所でしょうか。

とてもホスピタリティの気持ちがありますね。旅行でいらしたお客様の感想でも、一番多いのが「人が良かった」というものです。「パゴダが良かった」とか「遺跡が良かった」じゃなくて、ほとんどの方が「人が良かった」なんです。お客様も滞在中はそんなに多くのミャンマー人と接するわけではないけれど、やはりミャンマーの人たちのような素朴な優しさ、ほほ笑みは、いま日本で忘れられているようなものなのではないでしょうか。

オフィスでの仕事風景。

オフィスでの仕事風景。

 

第1回 KDDIミャンマー 社長 増田正彦さん

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――いつからヤンゴンに赴任されたのですか?

今年(2013年)1月の終わりに会社設立のライセンスを取り、日本人2人でスタートしました。どんどん人数を増やして、今はKDDI出向者の日本人が4人、ミャンマー人が12人の計16人となりました。今後、ますます増やして、お客様に更に良いサービスを届けたいと思っています。

 

――簡単なご経歴と、ミャンマーに来られた経緯を教えてください。

ミャンマーに来る前は、香港(現地法人)に3年いました。それ以前の日本ではずっと、通信モジュールを利用したソリューションの業務を担当していました。問題解決や提案型の営業ですね。携帯電話のデータ通信機能だけをモジュール化した製品を独自で開発し、車の走行データや燃費情報などを収集し、ナビと連携させて安全運転に役立てるとか。セキュリティのサービスで使って、無断進入時に警備員が駆けつけるとか。機械に通信機能を取り付けて世の中のしくみを変えるという仕事をやっていたんですが、それを中国でやりたくて「海外に行きたい」と言った時に送り出されたのが、香港です。

中国展開を3年間やり、また「ちょっと違うチャレンジをほかの国でやりたいな」と思ったときにミャンマー赴任の話があり、「お前が行け」ということになりました。それを言われたのが、(2012年)12月の終わりです。その前の年の8月に一度、短期出張でミャンマーに来たことがあり、その際にとても良い国だなと思っていました。穏やかで、きれいで、人柄もみんないいし、その上、これからのビジネスがあると思いましたので、「行くか?」と言われたときに「行きます」と即返事をし、即赴任した、というのが経緯です。

 

――ミャンマーの一番の魅力はどこでしょうか?

やっぱり人でしょうか。ただ、お金持ちには悪い人がいる、というのはよく聞きますけど(笑)。当社のメンバーもそうですが、若い人たちはすごくまじめだし、正直だし、勤勉だし、仲間を大事にする、そういうところがとても良いと思います。ただその反面、みんな「イエス」と言って(仕事を)引き受けちゃう。それで、なかなか仕事が進んでいないことがありますけどね。でも人の素の部分が非常に良いので、わたしはミャンマー人が好きです。とても素朴で、おせっかいなくらいいろいろやってくれるじゃないですか。あれがたまらないですね(笑い)。

それが一人のおせっかいじゃなくて、例えばアパートメントで重い荷物を持ってスーツケースを2つくらい持ってエレベーターに来ると、まず警備員が運んでくれます。それをエレベーターに乗せると、今度は一緒にエレベーターに乗っている作業員に「お前、手伝ってやれ」とか言って、また(その作業員が)自分が下りるときに荷物を部屋まで運んでくれる。あれはなかなかできないと思います。そういうところが素直で素朴ですよね。

 

――それでは、ミャンマーの課題点は?

通信・インターネット、インフラがまだまだですね。インターネットがすごく遅い。日本人的にいうと、イライラするくらい遅い。ただ、みなさんは何か代替手段が無いのか?という所で悩み続けている。そういう所が、我々にとってビジネス・チャンスがあると思っています。あとは電気。生活していて、停電をこんなに味わうと思っていなかったんですけど。生活も不便なるし、夜はいいけど朝に停電になると大変じゃないですか、カミさんなんかパニックですよ(笑)。そういう観点で言えば、停電と通信を合わせて改善できるのがビジネス・チャンスですよね。でも、道路の渋滞は勘弁してほしいですよね。

 

――ヤンゴンにはコンピュータ大学を卒業したものの仕事がない、という若者も多いですが、貴社のスタッフは即戦力になっていますか。

いまのメンバーは、みんな即戦力ですね。卒業したばかりの新人が1人いますが、一から教えて育てる、という楽しみもあります。即戦力(のスタッフ)は、スキルを鍛えてもっと生かして、という楽しみと両方あります。、新人はだいたい20代半ばくらいから上は35~36歳くらいのスタッフがいます。

 

――もともとITの知識もあり、日本語もできるスタッフを採用したのですか?

日本語が話せるスタッフは3名います。レンタル・オフィス(ビジネスセンター)ではITスキルはあまり必要でなく、日本的なおもてなしとか気遣いができる人が必要です。わたしが不思議だなと思うのは、(ミャンマーの日本語クラスでは)日本語を教えるだけじゃなくて、日本の文化みたいなものも一緒に教えてくれているんじゃないかな、と思う。だから細かい気遣いができて、日本人に近い感じがしますね。お客様からの評判も上々です。

それと、別の仕事をバリバリやっていた、日本語を話せる女性スタッフが入社してきて、いまITを勉強しながら一生懸命やっていています。いま営業をやらせているんですが、とてもハキハキしていて仕事の進め方がうまいので、これからITを勉強しても大丈夫ですね。

 

――ミャンマー人は勉強熱心で、語学習得能力も高いと言われますね。

社会人になるまでに日本語学習に触れている人が思いのほか多いですね。こちらが「ただいま」とか「さようなら」とミャンマー語で言って、向こうが「おはようございます」とか「お疲れ様でした」と、一生懸命日本語で話そうとしてくれます。そういう意味では面白いですよね。過去いろんな勉強をしているんだな、という感じがします。そして、英語はみんなうまいですよね。(語学の)覚え方のコツがあるんでしょうね。