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  • 7年前、単身ミャンマーへ渡り、以来現地に身を置き激動の時代を生き抜く。企業・政府・マスコミ等との長年に渡るビジネスを通して培ったスキルや現地・日本の人脈をフルに活かした調査・進出コンサルティングは在ミャンマー日本人の中でも随一である。 Since 2001/1/1
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ミャンマーを知る読みもの

Essay by Suzuki Yoshio 鈴木 芳雄のエッセイ

26 鈴木教授のマンダレー滞在記 その18 2001/9/2
25 鈴木教授のマンダレー滞在記 その17 2001/9/2
24 鈴木教授のマンダレー滞在記 その16 2001/8/28
23 鈴木教授のマンダレー滞在記 その15 2001/7/15
22 鈴木教授のマンダレー滞在記 その14 2001/6/28
21 鈴木教授のマンダレー滞在記 その13 2001/6/28
20 鈴木教授のマンダレー滞在記 その12 2001/4/12
19 鈴木教授のマンダレー滞在記 その11 2001/3/10
18 鈴木教授のマンダレー滞在記 その10 2001/3/7
17 鈴木教授のマンダレー滞在記 その9 2001/1/8
16 鈴木教授のマンダレー滞在記 その8 2001/1/8
15 鈴木教授のマンダレー滞在記 その7 2000/12/16
14 鈴木教授のマンダレー滞在記 その6 2000/12/16
13 鈴木教授のマンダレー滞在記 その5 2000/12/16
12 鈴木教授のマンダレー滞在記 その4 2000/10/5
11 鈴木教授のマンダレー滞在記 その3 2000/9/11
10 鈴木教授のマンダレー滞在記 その2 2000/8/8
9 鈴木教授のマンダレー滞在記 その1 2000/8/8
8 鈴木教授のヤンゴン日記 その5 2000/7/4
7 渡面後の近況報告 2000/5/9
6 鈴木教授のヤンゴン日記 その4 2000/5/4
5 鈴木教授のヤンゴン日記 その3 2000/4/5
4 鈴木教授のヤンゴン日記 その2 2000/3/22
3 鈴木教授のヤンゴン日記 その1 2000/3/8
2 日本への手紙(番外編) 2000/2/23
1 鈴木教授のヤンゴン日記(過去編)--その1-- 2000/2/22

鈴木教授のマンダレー滞在記 その13

by 鈴木 芳雄


2001年3月9日記
結婚披露宴

    56年前の今日、朝早く上野駅に着きました。小学校卒業を控え、学童集団疎開の第一陣として宮城県遠田温泉から帰京したものです。その夜、東京下町はB-29の大空襲を受け壊滅状態になりました。我が家も一家を揃って逃げ惑う羽目になりましたが全員無事だったのは幸でした。今、ここマンダレーにいて当日を思い出し感無量といったところです。

    今年に入ってから、1月.2月に二つの結婚披露宴に招かれました。一方は中国人、もう一方はミャンマー人でした。

    この中国人という呼び方はミャンマー独特のもので、この他にもインド人という呼称がよく出てきますが、正確には何々国系ミャンマー人というべきでしょう。この国は多民族国家ですから多くの種族からなっています。彼等は他種族を表現する時、シャン族とかカチン族とかいわずにミャンマー人カチン人と呼ぶのですが、それと同じ扱いです。

    その中国人は同僚の女性ですが、比較的富裕階級に属していてまさに盛大でした。披露宴は一日のうち、午前中と夕方の2回行われました。場所は中国系住民が好んで利用する催物会場が当てられました。午前の部は約500人招かれ、コーヒーと盛り沢山なケーキが供されました。最初に簡単な紹介場面があったようですが、仲人の挨拶とか来賓のスピーチなど一切なしで、来客は決められた2時間ぐらいの間に入れ代わり立ち代わりやってきては飲食をして引き上げていきます。そのあいだを白いスーツとウェディングドレスの新郎新婦が挨拶して回るといっただけの単純な工事で、日本の事情とは大違いです。

    夕方の部も場所は同じでしたが、中華料理の大振舞。午前の部とは異なり、一定の時間に、招かれた客が全員着席して始まりました。室内会場だけでは納まり切れず、室外にも相当数の丸テーブルが並べられていました。後で、聞いた話ですが、10人用丸テーブルを全部で40程用意したそうです。ここでも挨拶のような形式ばったことは何もなく、いきなり食事が始まり、終わり次第帰るというあっさりしたものでした。

    主催者側から食事に際しては酒類も供されると聞いていたので、中国滞在中を思い出し、長時間にわたる宴会を想像していたのですが見事に外れました。参会者もどが中国人ということですが、所変わればの例え通り、中国人といっても本来はミャンマー人ですから飲酒には興味がないようで供されたビールなど飲んでいる人は皆無いでした。

    次々に運ばれてくる料理をひたすら食べまくり、そのスピードも相当なもので、目を見張るばかりでした。10品近く出された料理は大量なものでしたが、あっという間に平らげてしまい、談笑する場面などないまま我先にという感じで席を離れていきました。夜会用衣服に改めた新郎新婦が退出口に並び、お見送りをして目出度くお開きとなりました。

    もう一方のミャンマー人といえば、こちらは教え子の女性で好対照な披露宴でした。彼女の自宅で催され、家族的な雰囲気の中で簡単な食事が供されました。ミャンマーに来てから、いろいろな披露宴を経験しましたが、自宅でというのは初めてでした。ここでも午前中の決められた時間内に招待客やってきて食事をして帰るという簡単なものでした。新郎新婦の衣装もミャンマースタイルで、終始にこやかに来客と談笑していました。

    総じてミャンマーの披露宴は主席者も多く、500人内外というのが一般的なようです。場所もホテルあり僧院あり公共施設ありといろいろですが内容はいたって簡素なのが特徴的です。最初は何だか物足りない感じがしたものですが、慣れてみればなかなか合理的で、味わいのあるものだと感心しています。

(C) 鈴木 芳雄