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  • 7年前、単身ミャンマーへ渡り、以来現地に身を置き激動の時代を生き抜く。企業・政府・マスコミ等との長年に渡るビジネスを通して培ったスキルや現地・日本の人脈をフルに活かした調査・進出コンサルティングは在ミャンマー日本人の中でも随一である。 Since 2001/1/1
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ミャンマーを知る読みもの

文化

新川 宏太 のエッセイ

Essay by Shinkawa Kota
2 ビルマに野球を 2002/12/31
1 歴史カードを使わない国ミャンマー 2002/12/16

歴史カードを使わない国ミャンマー

by 新川 宏太



    今年4月、私は念願かなってチン州の山奥の村に入りました。チン州は太平洋戦争における日本軍のインパール作戦の入り口の地域であり、今も外人が入る許可はなかなか降りない地域です。日本のテレビ取材班の支援部隊という名目で許可が取れ、私もやっと入ることが出来たのです。世界三大仏教遺跡のある中部の町パガンに飛行機で1時間、そこから山道を2日間18時間をかけて走りました。ジープでしたので、頭から足まで土ぼこりだらけになりました。水中メガネをかけ、2枚重ねのマスクをしていましたが、それでも土を吸い込みました。途中ジープが急峻な坂を登り切れず、我々が車を押す様な場所もありました。やっと到着したその村にとり、我々は戦後初めての外人であり、外国人を見るのが初めてという人がほとんどでした。

    テレビ取材に人々は非常に協力的であり、取材は一ヶ月程度続きました。私はそこで、本当に素朴で人懐っこく、古き良き人々と親しくなりました。私が持って行ったフジのフォトラマ(インスタント写真)とデジタルカメラの故に私は大の人気者となりました。写真など撮ってもらったことが無い人がほとんどであり、すぐに見られ、プリントが出来るので、皆大喜びでした。正装して、家族であるいは友人と撮ってくれと来る人が次から次とあり、フィルムの関係で十分に撮ってあげられなかったのが心残りです。

    さて、最近、驚くべきことが分かりました。その村の村長さんはとてもいい人で、我々の為に、きれいなトイレや水浴びのスペースを作り、何くれとなく世話をしてくれました。日本人と顔立ちもそっくりで、昔の良き日本の田舎の老人という風情です。しかし何と、その村長さんのお父さんは、戦中に日本軍によりスパイの疑いをかけられ殺されていたのです。村長さんの回りの一部の人々は、いいチャンスだからあだ討ちをしろ、つまり我々を殺して恨みを晴らせと随分けしかけたそうです。そこに我々が飛び込んだのです。しかし村長さんは人格者で、「昔のことだから」と、それを受け入れず結局我々は殺されずに済んだわけです。チン族は「やられたら、やりかえせ」という考え方を持っておりあだ討ちの風習が残っているそうです。私はやられていてもおかしくはなかったのです。にもかかわらず、そのことはおくびにも出さず、何くれとなく親切にしてくれた村長さんや村人に深い感動を覚えずにはいられません。

    こういう物語は実はミャンマーには沢山あります。それは、日本軍が30万人の兵士を送り込み、全く無謀な作戦により19万人が亡くなり、11万人が何とか日本に戻ったという悲劇の戦場だからです。しかし、その何とか日本に戻った11万人が、全員ミャンマーを好きになり、深惚れてしまったのです。他の戦線では、こういうことはありません。

    そして見逃してはならないのは、これだけの激戦地になったのですから、当然ビルマの人々に迷惑が掛からなかった筈は無いという事です。当然、甚大な被害を被っているのです。タイ国境を越えて侵攻した日本軍が、激戦を交えながら英印軍をインド領内に追い払い、中国軍を雲南省内へと急追しました。しかし、その数年後にはインパール作戦で大敗北を喫し、今度は死闘の退却戦となった訳です。その為、ビルマは殆ど全域にわたり往復二度の激烈なる戦場と化したのです。亡くなった方、殺された方も数知れません。先ほど申し上げた村長さんのお父さんのようなケースも多々あったでしょう。インパール作戦について、戦記として、日本軍がいかに無謀な戦いをし、兵士が無駄死にしたかについて書かれた本は沢山あります。あまりにも馬鹿な作戦を立て、自分は安全な所から指揮した将軍の下劣さに対する怒りと兵士の哀れさに、私はいつも途中で読めなくなってしまいます。しかしビルマの人々が受けた被害について書かれたものはほとんど無いのです。ようやく一冊見つけました。根本百合子さん著「祖国を戦場にされて~ビルマのささやき~」(石風社)です。心ある方はご一読下さい。

    ところで、不思議に思われませんか?中国や韓国、北朝鮮は今でも日本に何かあると謝罪を求め、常に歴史カードを切ります。しかし、ミャンマーがそのカードに触れたということを聞かれたことがあるでしょうか。無いと思います。しかし、この国もいまだに歴史カードを使う国同様、あるいはそれ以上に被害を受けているのです。日本人はすっかりそれを忘れています。当地に住む日本人でさえも、そんなことを知ってか知らずか、威張り散らす人もいます。それは、この国が先ほどの村長さんの様な態度をとってくれていること、日本のマスコミがミャンマーというと国内における政治的対立のことしか書かないことに起因します。しかしミャンマーはビルマ独立義勇軍を組織した鈴木敬司大佐をはじめとする南機関のことを今も教科書に載せ敬愛しているのです。こういう国が他にあるでしょうか。勿論、この国には様々な問題があります。しかし、それを声高に非難しているばかりでは、人々の暮らしは困窮の度を強めるだけです。

    この国の表面には出さない日本に対する暖かい配慮、人々の日本に対する大きな期待と憧れ、そしてそれに日本が応えない為に止む無く中国に頼らざるを得ない現状を知っていて頂きたいと思います。経済進出する場合にも、単に金儲けの為の国と考えて欲しくはありません。企業の投資ですから収益を生まねば存続はおぼつきませんが、同時に、末永い友好関係を保ち共に発展することを念頭に置いておきたいと思います。何と言っても、好きにならないと、仕事が出来ない国なのです。

    「ビルマの竪琴」の中で、主人公の水島上等兵に言わしめています。

    「どこに行っても、ビルマ人は楽しげです。生きるのも、死ぬのも、いつもにこにことしています。この世のことも、あの世のことも、めんどうなことは一切ほとけ様にお任せして、寡欲に、淡白に、耕して、うたって、おどって、その日その日をすごしています。ビルマは平和な国です。弱くまずしいけれども、ここにあるのは、花と、音楽と、あきらめと、日光と、仏様と、微笑と・・・・・」 今でも、そのままです。

    この様なビルマ、ビルマ人を日本人として、どうして見捨てることが出来るでしょうか。歴史的にも恩義を感じるべき日本人が暖かい目でこの国の人々の幸せを祈ってほしい、そんな気持ちで一杯です。



©新川 宏太